今年もノーベル賞発表の時期がやってきました。
ノーベル文学賞は今回は日本人の受賞はなりませんでしたが、毎年どんな人が受賞するのだろうと興味を持って見ています。
受賞者の名前が発表になると、いつもすぐに図書館のホームページを開いて名前を検索し、代表作をチェックして予約しています。というのも発表の翌日になってしまうと、あっという間に数十人待ちになってしまうからです。
で、今回予約1位でゲットしたのが、オーストリア出身のペーター・ハントケという受賞者の幸せではないが、もういい という作品でした。
母親が亡くなった、というところから話はスタートします。
亡くなった母親の人生を書き留めたい、という思いはあるのだが、なかなか書き始められないまま7週間が過ぎる。そして彼は彼の祖父のこと、その時代の背景、それから母の生い立ち、という風に徐々に語り始めます。
第二次世界大戦前後の、オーストリア南部にあるグリフェンという町がこの話の大きな舞台です。
この町で生まれ、その時代の女性の中で少しだけ羽目を外した若い頃の出来事、母であり、夢を描く女性であり、決して夢どうりにはならない現実の貧しさとあきらめを受け入れつつも、自分らしさを見失わないで生きようとする女性の姿を、回想しながらなるべく正確に書き留めようと悩む、著者の言葉と同時に描かれています。
その話の中には著者も「彼」という形でそっと紛れています。子供時代の彼から見た母を客観的に描写していて、そこら辺の書き方もまた難しく悩んでいるようにも見えました。
ハントケは彼女の人生を回想していますが、決して母を偲ぶ愛情あふれた内容ではないように感じます。むしろ嫌悪しているようにさえ映ることもあります。客観的に描こうとするあまり、自分の感情は挟まない努力をしたのでしょうか。
私はそうではないと思います。
むしろ隠し通すことが出来なかったんじゃないか、客観的に描こうと努めたけれども、ネガティブな感情を抑え切れなかったんじゃないか。
最後の方でハントケは「何でもあからさまに正直に書くことにうんざりして、またすぐにもいくらか嘘をついたりうわべを装ったりもできるようなもの、たとえば戯曲のようなものを書きたくてたまらなくなったこともあった」と言っています。
彼としては淡々とありのままを忠実に留めたかった、しかしそれは彼にとってとても難しいことで、母親を心から愛して気遣ってきた息子という役柄で自分を登場させる方が、きっとずっと楽だったんだと思いました。
彼はスロベニア系の母と既婚のナチ党員の間に生まれるが、出生時には母は別のドイツ軍兵士と結婚し、幾人かの兄弟と共に成長する。「彼」についての記述は少ないけれど、彼は大学中退後にオーストリアを離れています。
死から始まる物語であるが故、母マリアは最後にやはり死んでしまいます。
彼女は用意周到に大量の抗うつ剤や睡眠薬を準備し、家族や親戚への別れの手紙を書き、死への身支度を整えました。
母の死後ハントケはオーストリアへ戻る飛行機の中で、
「やった、やった、とてもよくやった」
と、母の自死を誇りに思い、多幸感にも包まれたと言っています。
それは彼が、母が晩年彼に宛てた数々の手紙から、母が病いと現実、家族(彼も含む)について非常に苦しんでいたこと、死を示唆していたことを知っているからです。
彼の気持ちは彼にしか分かりませんが、幼い頃から母の側で彼女の人生と共に生きてきた、言わば生き証人でもあるハントケがそう話すのだから、それが本心なのでしょう。
子供というのは、家族の一番の傍観者と言えると思います。
一番近くに関わりながら、大人の一員とされるまではずっと蚊帳の外で、大人を見守り観察し続けるのが子供だからです。
邦訳者はタイトルを決めるのにとても苦心したことを、あとがきに記しています。
「幸せではないが、もういい」
というのは原題の直訳ではありません。
原題の一語である「望み」について、本書のテーマと合わせて考え尽くした結果、生まれたタイトルだとしています。
日本語には日本人にしか分からないニュアンスがあるように、ドイツ語にはドイツ人にしか分からないニュアンスがあるようです。
母マリアの「望み」について訳者は、
「人生でいちばん苦痛なことは、夢から醒めて、行くべき道がないことである」
と、魯迅の言葉を借りて表現しています。
彼女は好奇心が強いとても素敵な女性だし、人として当たり前の望みや感情を持っていて、今の時代ならもう少し望みに近い人生を送れたかも知れない強さがあります。
日本の戦前戦後の社会的背景や女性の生き方と、オーストリアのそれが必ずしも一致しているとは言い切れないけれど、貧困や女性の地位という問題において程度の差はあれ、似ている部分も多いのではと推察します。
望みを持つことを想像することすらなかった、それ以上望みようがないほど不幸だった時代。
その時代を生きた母の、一人の女性の人生を、苦しみながらも忠実に描いたハントケは、そうすることで母への愛を表現し尽くそうとしたのかも知れません。