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Jast a Traveler

それでいいのか? 〜 東畑開人「居るのはつらいよ」

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この夏わたしは精神科デイケアというものと繋がった。
 
 
こういうものがあるらしいというのは知っていたけれど、わたしが思っていたものとは少し違っていた。
 
 
わたしが頭の中で思っていた精神科デイケアとは、同じメンバーが毎朝やって来て、挨拶と体操をしてから午前午後のプログラムをこなし、そして夕方にまた挨拶して帰っていくというものだった。
 
 
今繋がっているデイケアはそういった規則的に通うものではなく、各プログラムの中から好きなものにだけ参加して帰っていくというもので、生活の質を上げるために、単調な生活に少しでも潤いを与える役割を担っているという感じで、いわゆる「習いごと」に近いイメージだ。
 
 
「習いごと」に近い、というのは何と言ってもそこの事業所で行なっているプログラムの質が高いという点である。
 
 
アロマやヨガなど、普通にそこら辺にあるお稽古事となんら変わりないほど本格的で、とても新鮮だった。
 
 
そしてこれまでのわたしの生活に圧倒的に足りないものとは、まさしく居場所だったのだ。
 
 
元気になって来たはいいが、行く所がない。図書館やカフェに行っても誰とも交流することはないし、いい加減飽きていた。
 
 
いつ来ても帰ってもいい場所で、スタッフや同じような境遇の人たちと近過ぎずに交流できる場所、それは仕事や習いごとのように半ば強制的に通わなければならない所より少しだけバーを下げた場所であり、少なくとも今のわたしに一番しっくりくる世界だったのだ。
 
 
もう少し早く知っていたら良かったのになあ。
 
 
 

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そんな中最近ちょくちょく見かける本があり、それは「居るのはつらいよ」という本で、精神科デイケアについて書かれているものだった。
 
 
あ、なんかタイムリーだな、と思って読んでみたのだが、沖縄にある彼が勤めていたデイケアとは、まさしくわたしがイメージしていた典型的なものだった。
 
 
「それでいいのか?」
 
 
著者東畑開人さんの、いつも頭に浮かんでは消していた言葉。
 
 
27歳まで大学生だった「ハカセ」の初めての社会が、そこら辺に座っていることと麦茶を作る仕事だったのだ。
 
 
新卒や社会人になったばかりの優等生には、焦りと不安と決してカッコいい場所とは言えない、知人に胸を張って自慢できる仕事ではないことはきっと辛いし、悩みもするだろう。
 
それを正当化しようと意味づけをしながら日々格闘している様子が、手に取るように伝わって来る。
 
 
わたしも仕事の内容も若干違うけれど、要介護のお年寄りのための「デイサービス」で仕事をさせてもらった経験がある。
 
 
当時のわたしは今よりかはずいぶん若く、今よりももっと尖っていて、新しいことにチャレンジしたい、できれば自分が手を伸ばした先よりもう少し高い所にある仕事をしてみたい、という気持ちが強い時期だった。
 
 
「それでいいのか?」
 
 
とは言え仕事にやりがいはあった。わたしの場合は、お年寄りが好きでとても尊敬していたし、そういった方達に関わらせてもらえる仕事は嫌いではなかった。
 
 
でもそれでも一方では、医療従事者としてわたしがやりたいとイメージしている業種とはちょっとだけ違ったし、焦りが強かったのは確かだった。
 
 
今わたしが介護者から言わば要介護者(ちょっと意味合いは違うけど)になって、興味が湧いたのはここで働くスタッフたちのことだ。
 
 
遠いところで彼らの仕事を観察しながら、ケアを受けている自分を観察している。
 
 
「あの頃のわたしは、あれで良かったのかな?」
 
 
人って、その時々に変化する役割に馴染もうとする、成りきろうとするところがあって、「与えるほうの立場」から「与えられる立場」に変わって、そこに今自然に馴染もうとしている自分がいる。
 
 
なんというか、自分の頭で考えることが減ったんじゃないかと思う。
 
 
与えられることを待つ、促されることを待つ、決して能動的には動かない、スタッフが気を回してくれるのを期待する、そういう役を演じるようになった気がする。
 
 
「それでいいのか?」
 
 
年をとるごとに社会性が乏しくなっていく。
 
 
考えているようで考えていない。
 
 
気を遣っているようで、遣えてない。
 
 
そんな受容的な役割をなすがままに受け入れていていいのだろうか。
 
 
 

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今繋がっている精神科デイケアはわたしにとって習いごとのような感覚で、同じような病気の人達の集まりだから、頑張らなくていい所がわたしに合っていると思っているけれど、もう少し外出が困難でなくなって来たときには、次の手段を考えよう。
 
 
今はまだ「その時」じゃないんだ。
 
 
せめてもう少し、朝の憂鬱感や不安感が減って外出が楽になるまで、受容的な役割を演じさせてもらいたい。
 
 
「それでいいのか?」
 
「居るのはつらいよ」
 
 
ふと浮かぶ言葉を、ゴクリと飲み込んで。
 
 
 
 
 
 
 

“Be yourself; everyone else is already taken.”

― Oscar Wilde

あなたらしくあれ、他の誰かという席はもうすでに埋まってしまったのだから

ー オスカーワイルド