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Jast a Traveler

ギンレイホールとわたし

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ギンレイホールとの出会い

ある日夜ごはんをどこかで食べようと飯田橋駅周辺をふらふらと歩いていると、遠くに行列が見えました。

 

「ここ何屋さんなんだろう、とりあえず並ぶか」

 

と、なんの行列かも分からないまま、きっと美味しいお店なんだろうと勝手に想像して、つい最後列に並んでしまいました。

 

 自分の番が近くなったところでようやく分かったのが、ここは映画館なのだということ。 その映画館では2本の映画が上映されているようで、どちらか選んでチケットを買うのかと思いきや、2本立てで観られるというのです。

 

それならせっかく並んだのだから、夕飯は後にして先に映画を観ようではないか。 それが「ギンレイホール」との初めての出会い、今から10年くらい前のことです。

 

飯田橋ギンレイホール

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その時たまたま上映していたのが「コーラス」「海を飛ぶ夢」という映画でした。

 

それらは最新のロードショーではなく映画館がチョイスした2作品で、こういったスタイルで上映する映画館のことを「名画座」と呼ぶのを、その時初めて知ったのです。

 

どちらの作品もヒューマン系でじんわり心に残る作品でした。 「コーラス」の方は宣伝か何かで知っていたこともあり期待通りの良い作品でした。なのでお腹が空いていたのもあって、1本だけ観て帰ろうと思ったのですが、せっかく並んだのだからと、もう一本も観てから帰ることにしました。

 

 

海を飛ぶ夢

「海を飛ぶ夢」は尊厳死がテーマのスペイン映画です。 私はその映画の中で「尊厳死」という言葉を初めて耳にしました。

 

最初から最後まで、なんとも言えない重々しさともどかしさで、観ていて苦しさすら感じるほどでした。

 

正解か、不正解。

 

そんな風にふたつにきっぱり分けられたらどんなに楽だろう、そんな気持ちは生きていれば誰しも必ず遭遇します。

 

ちょうどその頃、私はブログを通じて交流のあったメンバーの一人が、死にたいという言葉を頻発していて、どう接して良いのか困っていた所でした。

 

私自身も「死」に対する考え方の正解を求めていた時期でもありました。 この作品を観ながら、尊厳死という初めて聞く言葉の意味を理解しました。

 

それまで友人の「死にたい」という言葉を、ひたすら否定し「明けない夜はない」みたいなことを言いながら励まして来たけれど、正解は正義でも100%でもないことを少しだけ受け入れてからは、「死」を真っ向から否定しきれなくなりました。

 

その後その友人はブログをやめてしまい、周囲の人は「死んでしまったのか」と心配していたけれど、本人はすっかり元気になり、体調や人生の悩みを抱えながらも一生懸命前を向いて生きています。 (友人も私もそれから数年して、同じ時期に双極性障害と診断されています)

 

 

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ずっと残してほしい

そんなわけでギンレイホールという名画座に出会ってからというもの、新作映画ももちろん観たいけれど、もうどこの映画館でも上映が終了している古い作品を、その時々に自分の興味のタイミングと合致して上映していたりする偶然が嬉しくて、すっかりクセになってしまいました。

 

古い名画座は時代と共に淘汰され、新しいミニシアターがあちこち誕生しています。新しい映画館は座り心地も良くおしゃれですし、新し物好きでもあるので、それはそれで刺激があってワクワクします。

 

けれども少し前まであった古い建物がいつの間にか消え、新しい建物に変わっているのを知った時の寂しさは、わりと堪えるし後遺症が長く残ることさえあります。

 

もうひとつのお気に入りの映画館に「新宿武蔵野館」があります(こちらはリニューアルしましたが)。ギンレイホールといい、新宿武蔵野館といい、他にもいくつもあるとは思うのですが、できればずっとそのままでいて欲しいと、何においても別れが苦手な私はいつも心に思うのです。