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Jast a Traveler

幸せの権利と価値観。双極性障害の人は幸せにはなれないの?

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I have decided to be HAPPY, because it is good for my health...

 

 

ネットを旅していると、いろんな言葉が意図せず目に飛び込んできます。そんな意図せず目に飛び込んできた、ある言葉について立ち止まり考えてみました。  

 

私は誰にでも幸せになる権利はあると思っています。

病気だから、うつで苦しいから、孤独だから、経済的に無理だから幸せになんかなれないと話す人がいますが、 でもだからといって不幸にならなければいけない法律なんて聞いたことがないです。

 

権利や法律なんて言葉は仰々しく感じられるかも知れませんが、病気だから、うつで苦しんでいるから、孤独だから、貧乏だから、だから不幸を選択しなければいけないなんて、不幸過ぎにもほどがありませんか?

 

誰でも幸せになれる、そう考えることは間違ったことなのでしょうか。

 

どんなことを幸せというの?

じゃあ幸せっていったい何なの?という話に自然となります。 自分は心理の専門ではないので、仕方がないから一人で考えてみました。好きな本も読み終わってしまったのと、ラストがショックだったからっていうのもあります。

 

まず思いつく幸せの定義

まず一般的に考えてみると、幸せとはお金、結婚、仲良しの家族、社会的地位、健康などの言葉が思いつきました。 いかにも幸せそうで、うらやましいです。私にはないものばかりです。

 

忙しかった頃の自分を振り返ってみる

そして今度は自分の考えた幸せの定義です。 私は双極症を発症する以前、自分はあんまり幸せではないと感じていました。 発症する直前の自分は、とにかく涙が出るほど毎日毎日忙しい日々を過ごしていたからです。

 

ここで自分がどれだけ忙しかったかを書き出してみたら、あまりにも長くなったことに気付いて、やっぱり書くことをやめました。

 

こんなところでも、自分がどれだけ不幸アピールをするエネルギーが強いかを思い知らされたからです。 忙しかったから何が言いたいかというと、私にとっての幸せはお金でも仕事でもなかったのです。

 

 

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私にとっての幸せの価値

私が一番価値を置いていたのは、「時間」です。当時の私は潤沢な時間を持っている人が、この世で一番幸せな人だと信じていました。 上記で一般的な幸せと書いた、お金、結婚、家族、地位、健康、これらの大部分を今の私は持っていませんが、喉から手が出るほど欲しかった潤沢な時間を、今は当たり前のように手にしています。

 

ですから私は、世間の人から病気で不幸でかわいそうな人だと思われても、心の中は幸せです。なぜなら夢が叶ったからです。 確かに病気は辛いですし、もっと周りに甘えられたらとも切に思います。 以前のような経済的な余裕も今はありません。

 

お金が幸せの価値、という人

ブランド品や高級車といった、周囲の人よりも高価な物を持つことで強力な満足感を得るタイプの人は、間違いなくお金が幸せの第一条件になると思います。

 

ブランド物の新作は季節ごとに世に送り出されるので、そういった人は1年中新しい物が欲しくて仕方がなくなると思うので、少し気の毒にも見えます。

 

ただ買い物依存症の人は、こころの中にある何か満たされないものの代わりに、ショッピングで欲求を満たしているのかも知れません。 ですから何らかの形でそれらが解決すれば自然に治まると思いますし、元々の価値観がお金というわけではないのだと思います。

 

 

お金に対する捉え方

私の場合はお金持ちではない家庭で育ったことも、今では幸運だったと思うようにさえなりました。お金がないと使い道を検討することを余儀なくされます。好きな物ばかり買うわけにはいかないからです。

 

「お金がないやつは頭を使え」とよく言いますが、その通り無い頭を振り絞って必要な物の優先順位を決めています。

 

私は親しい人と飲みにいったりごはんを食べたりと、付き合いを楽しむ時に惜しみなくお金を使えるようにと、普段は質素に暮らしています。 今の私には、病気のことなんて全然気にしないで馬鹿な話をしてくれる、数少ない友人がかけがえのない財産だからです。

 

 

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最後に欲しい物は健康

人はいろんな物をどんどん手に入れて物質的な欲が満たされると、最後に欲しがるのは健康なのだそうです。 健康はすべてがお金で買えるというわけではないですから理解できます。 欲しい物の難易度をあげていく様は、まるでゲームのようです。

 

 

絶対に幸せだと思わなくてはならないわけではない

同じ病気の人が幸せがどうだのといった前向きな意見を言うと、それはあなたの病気が軽いからで、私よりも幸せだからだ、私はあなたと違ってずっと苦しんでいて不幸だし、とてもそんなこと言ってられないと不快感を表す人もいると思います。

 

今は苦しくて、そんなの読んでいるだけで吐き気がすると言う人の気持ちも、悲しいことによく分かります。

 

貧乏合戦、苦労合戦(私達の場合は病気の重さ合戦も)は誰もがみんな自分が一位だと思っているので、果てしなく戦いは続きます。誰もが自分の辛さを「大変だったね」「そんなに辛かったんだね」と理解して欲しいと強く望んでいるからです。

 

今の私にとっては時間が一番価値あるものなのですが、いつもいつもそう思っているわけではありません。そんなんじゃゴハンは食べられないという状況の時も普通にあります。 どんな人でもいつもいつも同じ状況で生きられるわけでは決してありません。どうやら人生はそういうものらしいので仕方がありません。

 

 

不幸だと決めつける必要もない

しかし病気の人、貧乏な人、苦労をしている人すべてをイコール「不幸」と決めつけるのは、ただの刷り込まれた思考に過ぎないと思います。 決してイコールなどでくくる必要なんてないんです。 幸せは本人が決めるものですし、人生はその時々に変化するものだからです。

 

 

人と比較すれば凹むだけ

周囲と比較をすれば、私だって凹みます。

ごはんが食べられない人が、学校に通える人を羨ましいと思い、学校に通える人が、良い大学に入れた人を羨ましく思い、良い大学に入れた人が、自分より良い会社に入社した人を羨ましいと思う。 なんだか上の方で話した、季節ごとに新作ブランドを欲しがる物質欲の強い人と少しだけ似てますよね。 比較をし始めたら本当にきりなんてありません。

 

図々しく幸せに生きよう

人生苦しい時にはうっかり忘れそうになりますが、最初に言った通り誰にでも幸せになる権利があります。逆に不幸にならなければいけない法律なんて存在しません。

 

わざわざ周囲の人に「私幸せなの!」なんて言いふらす必要はもちろんありません。(そんなことしたら、躁転したと勘違いされて入院させられてしまいます)

 

自分の心の中だけで「ゆっくりと新聞読んで朝ご飯を食べられて幸せ!」と思えて幸せ!と心が折れそうな時に、手に入れた潤沢な時間に目を向け噛み締めるように私は暮らしています。

 

都合の悪いことは全部病気のせいにして、都合の良いことは全部自分の手柄にして幸せに暮らそう、と言い聞かせています。

 

周りから見たら不幸の象徴のような私達には、そのくらい図々しくならなければ人生やってられませんもの。 これが私の出した答えです。