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Jast a Traveler

他者のために祈る五体投地

 

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少し前になりますが、私は天空列車といわれる青蔵鉄道に乗ってチベットへ入境したことがあります。 東京ーラサ間は、直線距離で4500km。 新宿から高速バスとフェリー、そして青蔵鉄道を利用して1週間かけてそこへ辿り着きました。

 

当時はまだ旅慣れていなかった私にとって、それは偉業中の偉業でした。 何年も前から憧れていたその場所へひとり降り立った時の感動は、言葉では言い表せないほどのものだったからです。

 

しかしこの映画を観ながら、自分にとって人生のハイライトとも思えたその偉業が、どれだけちっぽけで薄っぺらいものかということを、嫌という程思い知らされました。

 

 

 

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ラサへの歩き方 祈りの2400km

この映画は、あるチベット族の村人達が、亡くなった家族の意思を引き継いで、また巡礼を通して自身の生業に対する贖罪をしたいという願いのためなど、それぞれの心の中にある様々な思いを叶えるために、2400kmという果てしない道のりを、「五体投地」という仏教の中で最も丁寧と言われる礼拝をしながら、聖地ラサ、そしてカイラスを目指す巡礼の様子をドキュメンタリー調に描いた作品です。

 

チベット族の行う巡礼とは、とても言葉では言い表せないほどの過酷さです。

 

私も冬のチベットを訪れたことがあるので、その自然環境がどれだけ厳しいものかということは少しは分かっているのですが、極寒の冬山の中でテントを張って寒さをしのぎながら身体を休めるという毎日は、そうでなくても一日中五体投地で歩み続ける彼らの疲労がたまる一方としか思えません。

 

そんな厳しい環境の中で、いくつもの山を越え、時には雪の上を、時には川のように流れる冷たい水の上を、男性だけでなく子供や妊婦までをも道連れに、誰も不平をもらすことなく来る日も来る日も彼らは祈りの旅を続けるのです。

 

 

五体投地とは他者のために祈るのもの

旅の途中では、子が生まれ、老人が死を迎えます。

 

道を横切る小さな虫のために体を伏せたまま、その虫が道を渡りきるまで待ち続ける者。 泣き言を言わず、大人と一緒にただ黙々と祈る幼い少女の姿。

 

チベットの厳しい冬を越え、春の緑の芝の上で男も女も輪になって踊る様子や、色様々なタラチョが青空の下、風にはためく姿はとても清々しい光景です。

 

自分達にとって一番大切だと思うものを迷うことなく信じることや、自分ではなく他者の幸せを祈るという教えを守ること、そのために五体投地という他国の人々には理解しにくい方法で巡礼をすることは、チベット仏教、そしてチベット族にとって最大の誇りなのだとこの映画を観ながら心から感じました。

 

 

人が大切にしているものを笑ってはいけない

日本人の私達だって決して楽をして生きているわけではないですし、日々悩んだり迷ったり、それなりに大変な毎日を送っていることに変わりはありません。 大切にしている物は私達にももちろんあるはずです。

 

ですからたとえ「どうしてあんな大変なことをわざわざしながら、2400kmも移動しなければならないの?」と彼らのことを思ったとしても、決して彼らを笑ってはいけないと思うのです。

 

自分の生きる場所や習慣が違うからと言って、自分以外の人を馬鹿にすることは決してしてはならないことだと、私は思っています。

 

 

大切なことは「ズル」をしないこと

五体投地での巡礼で一番大切なことは、「ズル」をしないことなのだそうです。

 

私が東京から船で海を超え、陸路で1週間かけて苦労して辿り着いたラサへの行程は、彼らにしてみたらただの「ズル」でしかありません。 お金を払えば誰でも簡単にそこへ行くことが出来ますが、それは彼らにとっては何の意味もないことなのです。

 

興味だけで訪れた私のような者にも、足を踏み入れさせてもらえただけでも、ありがたいことだったのだと今は思っています。

 

 

チベット族への敬意

この映画が上映されるまで、張楊監督が中国人であることを私は少しだけ気にしていましたが、それは杞憂でした。 彼の目を通した映像には、チベット族の人々への熱い思いと深い深い敬意が映し出されていたからです。

 

政治的な面では、中国のチベットに対する行為はとても許せるものではないと個人的には思っていますが、中国の映画は昔からとても好きですし、張楊監督にはぜひこれからもチベット族の文化や歴史にもっと踏み込んだ作品を描いていただけたらなと思いました。

 

 

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映画を眺めながら、私はバター蝋燭だけが灯る迷路のようなポタラ宮殿の中を、巡礼者の列の後ろに付いて歩いていた自分を思い出していました。 そしてチベットの伝統である白壁の路地を歩く私が、スクリーンの中に映るのを一瞬だけぼんやりと見たような気さえしました。

 

たぶんその場所には、今もまだ私の心が残ったままだからなのでしょう。 チベットに行かれたことのある人はもちろん、まだの人もぜひこの作品に触れ心を揺さぶられてみてはいかがでしょうか。