普段犬の散歩をしていると、そういえばいつも会うはずのワンちゃんを最近見かけないなと、気付くことがある。
年とともに一匹一匹フェードアウトするようにいなくなっていく。そのたびに「ああそっか」と納得する。
「ああそっか、もう死んじゃったんだ。せめてちゃんとお別れしたかったな。飼い主さんとすら会うことがなくなってしまったな。」
なんかそんなどうにもならない虚しい気持ちを、この本を読みながら何となく思い出していた。
使命による死と運命による死。
死ぬってただの運命なんだろうか、それとも。
話の半分以上は、幼い頃から大人になっていくまでの過程が延々と細かく描写されている。 小さな頃の小さな小さなエピソードが、やがて大きくなるにつれ、だんだんと意味があることに彼らは気付いていく。
それは本当に重大な意味だ。 それなのにとても淡々と、騒いだり嘆いたり取り乱すことすらなく、誰もが使命を静かに受け入れ、恐れすら感じさせない。
その使命はあり得ないほどに残酷だ。その重さを陳腐な言葉でしか表現出来ない自分を打ちのめすほど。
私たちの死が運命なら、彼らの死は生まれながらの使命だ。 死は誰もが通る運命なのは分かってることだし、それはそうなんだけど、いつかは死ぬのと死ぬことを使命として生まれてくるのとではわけが違う。
ふとダライ・ラマの言葉が重なった。
「死はすべての人に訪れます。死ぬ時期がくれば、だれもがその時期をうまく乗り越えられる、ということです」
「わたしを離さないで」とは「わたしの身体と身体」それ以上に「わたしから大切な身体も記憶も決して離さないで欲しい」きっとそういうことなんだろう。 身体だけではない、大切な人も含めた、使命ではなく運命の死への渇望も含まれているのだろう。
手離せなくなる本です。